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ずっとずっとここから遠ざかっていました。
私は精神がとても弱い人間なので、何か起こると正直ブログに今の気持ちなどを書く事なんて出来ません。
どんなことが起こっても冷静に自分の気持ちを書き綴っているブログを散見しますが、とても私には出来ないし、同時にその強さに尊敬してしまいます。

でも勝手なもので、自分はブログを放置しているのにお気に入りのブログが更新されていないとすごくガッカリしてしまう。

で、で、気持ちも落ち着いて来たので忘れてしまわないうちに色々書き留めておこうかな、と思いまた書く事にしたんだな。


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先週の土曜日は下の子が入っているサッカークラブの打ち上げBBQがあった。
毎年恒例(だと思う)の親対子どもの試合があり、試合に出た。ユニフォーム着て。それも短パンはいて。
あんな膝上の短パンはくの、何年振りだろうー。

サッカー、見てわーわー勝手な事を言うのは簡単だけど、実際にやると難しいねぇ。全然思った方向にボールはいかないし、ボールを蹴ったつもりが空振りしたり。それよりなにより天然芝の上を走るのがこんなに大変とは思わなかった。遠くから見るときれいなサッカーコートでも実際に自分の足で走ると結構凸凹していて、日頃の運動不足も重なって気をつけないと足を滑らせて転びそうになる。

それに子ども達のプレーの力強い事!思い切り蹴ったボールなんてこちらに飛んで来たものなら、ドッチボールのように逃げ出すしかない。

全く役立たずだったけど、久しぶりに走り回って楽しかったー。

それにしても自分の子どもも含めて、皆大きくなりました。
U15は1998年生まれの子たちで1チーム、1999年生まれの子たちで1チームあった。
最初の頃は一つ上の子達との体格の差が大きくて「大人と子どもかっ!」と言うくらい差があった。
今も一つ上の子達の方がもちろん大きいけれど、その差が随分縮まっていた。体つきもがっしりとしている。
伸び盛りなんだなー、としみじみ思う。
先日、一つ年下(現在U13)の同じサッカークラブに入っている子どもの友人が、U15の練習に来た。
お母さんが「どの子も大きいわねぇ」とビックリしていた。まるで一年前の私と同じだ。だから言った
「私も去年は同じ事思ったんですよ。でも皆1年で大きく成長しました。だから来年の今頃はアナタのお子さんも大きくなっていますよ」と。

で、で、何でお父さんばかりが出ている試合に私が出たかと言うと、夫が既に日本に帰国してしまったから。
私と子ども達は上の子のバカロレアが終わり、結果が出次第帰国する予定。

サッカークラブから下の子へ、フランス代表のユニフォームが贈られた。
下の子が帰ってしまうのは残念だ、皆下の子が好きなんだよ、と言ってもらえて嬉しかった。
下の子は超もじもじで結局最後まで仲間と馴染めなかった風だったのに、そんな事言ってもらえて。

私も最初に「初めまして」と挨拶し、握手する為に手を出したのに拒否されショックを受けたのに、最後にはクラブの子たちやその親御さん達とBisou(ビズ=ふらんすの挨拶の仕方の一つ。両頬をくっつけて挨拶をする。この挨拶は親しい間柄だけしかしない)をするまでになった。
あともう何年かいたらもっと仲良くなれたかなー、なんてチラッと思ったりもしたけど限界でもあった。

やっぱり私は何年ここに住んだとしても溶け込めなかったと思う。今だって私が皆の中に入ると会話を止めてしまう。それは仕方がない。だって逆の立場で、もし私が日本人の知人数人と話していて、いきなり上手じゃない日本語しか話せない外国人が入り込んで来たら戸惑うもの。
そう分かっていても居心地が悪かった。言いたい事が言えなくて歯がゆかったし、言えても理解してもらえないときも有った。
言葉って出来れば良いってものじゃないんだなー、とつくづく思う。言葉って文化なんだ、ってよく思う。日本で生まれ育った自分には感覚がこちらの人と違うんだよなぁ、と。

Bisouも苦手。だから正直終わってホッとした。
お母さんは頑張ったよ。。。

子どもがサッカーをし始めてからサッカーの本を読む事が多くなった。よく書かれているのが、代表に選ばれている選手の努力。並々ならぬ努力をして今が有るんだ、みたいなもの。

自分がサッカーをしている立場だったら、そうかー、自分もいっちょ頑張るぞー、なんて単純に感動したんだろうけど、私は今は親の立場だ。だから純粋に受け取れないし、こう思ってしまう。

その頑張りを支えたのは「親」なんだよね。

私が生まれ育った町の隣町出身の代表選手がいる。DFの内田選手だ。
内田選手はその隣町からサッカーで有名な清水東高校に行った。なんでも毎朝5時台の電車に乗って3年間高校に通ったらしい。その頑張りが凄い、努力家だ、などよく書かれている。
函南から清水まで通うのはかなり大変な事だ、というのはよく分かる。
でも、私は親の立場なので「それが出来たのはお母さんが毎朝4時台に起きて朝ご飯とお弁当の準備して、駅まで送迎してくれたからなんだよ。本人より自分の事でもないのにそれを支えたお母さんの努力の方が余程凄いよ。」と思ってしまう。
だって私だったら絶対無理だもの。それも言ったらなんだけど、たかだか部活の為だけに清水って。他にも兄弟がいるのよ、アータの為だけにそんな早起き出来ないわよ、ムリ!で終わりだな。
もしも内田選手が私の子どもだったら代表になっていなかったと思う、絶対に。

香川選手だって、私が親だったら「サッカーの為に単身中学から東北に行きたいって!?アンタばかじゃないの」でお終いだったな。ホント、世に出る子どもって子どもの才能と努力だけじゃなくて陰で親が支えていたからってのが大きいと思うよ。

あれ、随分話が逸れた。
でも子どもが居てくれたお陰で本当に色んな経験が出来た。
私などものすごい無精なので、子どもが居なかったら折角海外で暮らすチャンスがあっても、毎日家に引きこもり、何もせず何も見ず、休みに旅行に行く程度で終わっていただろう。

この国、この国民には腹が立つ事が山のようにあった。もう大嫌いだー、なんて思った事も何度もあった。
でも、そう思えるのはたとえイヤな事だとしてもそう思える程色んな経験をしたからなんだよな、と気づいた。
子どもを通して、私はBisouがやっぱり苦手だわ、から色んな事、本当に色んな事を経験した。沢山の出会いがあった。

何を思ったか言葉が出来ない状態で一人目を生み、大変だから2人目は日本で生むぞ、と思っていたのに二人目もこちらで生んだ。実家の近くで育児をしている人を羨む事もあったけど、そうしていたら味わえない色んな景色を見る事が出来た。

そしてとうとう上の娘が高校を卒業した。
バカロレアの結果は未だだけど、合格していたら9月からこっちの大学生だ。何故かBacの合否が出る前に大学からは合格が出た。
生まれた時は何でも子どもの事を知っていた。それこそ汚い話だけれど、いつうんちをしたかさえ。
でもこれからは本当に彼女一人で自分の人生を作っていく事になる。
反抗期の時は学校をサボり呼び出しを受けたときも有った(私が)。成績が悪くてこのままだと留年ですけど、なんて先生に言われたときも有った。マンガばかり描いていて一体この人は将来をどうするつもりで居るのかしら、と思っていた。
それなのに高2の後半になってから、本能のまま生きて来た動物から、突然「人間」になった。まじめに勉強している同級生から刺激を受けてこちらがビックリする程勉強するようになった。将来を真剣に考えるようになった。

学校をサボっていた、目の周りを真っ黒にメイクし、髪の毛をつんつん逆立てていた頃だったらとてもじゃないけど一人でこちらに残すなんて心配で出来なかったけど、今の彼女だったら心配はない。
「信用しているから心配してないよ」と心から言える。

次は下の子だ。上の子がやっと人間になったのに、上の子が反抗期の時は私と一緒に「本当にどうしちゃったんだろうねぇ」と言っていたのに、今や本能のまま生きている動物状態だ。あと数年して、上の子のように「人間」になってくれると良いけれど。


と、書いていて思い出した。
数ヶ月前にレストランで食事をしていたら、隣のテーブルのカップルが英語で話していた。たくわんがお隣にちょっかいを出して、それについて謝り、そして普段だったらしないのに、それがきっかけで1時間以上お隣さんと話し込んでしまった。

そのカップルはイギリス人で二人とも教師をしていてもうリタイアしていること。イギリスは天気が悪いので、ギリシャやタイなどに長期間滞在していること。それもバックパッカーの様にリュック一つで出かけ、安いホテルに泊まり、パソコンなどは持ち運ばず、町の事やレストランなどはホテルや歩いて町の人に聞いて済ましているとのこと。とても充実した毎日を送っている様子だった。

私と夫がお隣さんと話し込んでいる間、子ども達はiphoneとipodをいじっていた。時々英語とフランス語で子ども達に話しかけてくれ、娘はちゃんと答えていたけれど、下の子は相変わらずのもじもじ。。。
「いつもこんな感じで難しいのですよ」と私が言い訳を言うと、奥さんの方が
「男の子は大体そうよ。21歳になったらまともになるから」と言ってくれた。
娘も反抗期の時はブスっとしてたなぁ。
下の子もまともになる日が来るのだろうか。
21歳は先過ぎるわ。

なんだかよく分からない事ばかり書いてるなぁ。
まぁ良いか。誰かに見て貰いたい訳じゃなく、自分が書きたい事を書いているだけなんだから。



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11月末から1ヶ月近くやっていた見習いは無事に終わった。
けど、販売業をこの国でやるのは無理だ、とよく分かった。

何故なら、お客さんと「何気ない会話」というヤツが出来ないから。

店主からは「さりげなく普通の会話から入って、徐々にお店の商品の説明をしていくのよ」と言われたけど、そのさりげない会話ってヤツが外国人の私には難題だった。

寒いし、丁度くりすます市がやっている時期で店主はお客さんに
「寒いですねー。どちらから来たの?ここは初めて?」なんて話しかけて、だんだんお店の商品の説明に移って行く、とても自然に。

でも、私が話すと超不自然だ。それにせいぜい
「こんにちは。寒いですね。何かお探しですか?」程度だ。
冗談だって言えないし、商品の説明といったって、ここの商品は全てここら辺で作られているんですよ、というのが精一杯だ。

でも収穫はあった。
書いた通り、自分はここで接客業は難しそうだ、ということが良く分かった。
そして一見「雑貨屋さんの経営なんてオシャレー」なんて単純に思っていたけれど、全く浅はかな考えだと言う事も分かった。

この国には「週35時間労働」という法律が有る。字の通り、勤め人の労働時間は週35時間、という法律がある。
でも、自営業には当てはまらないようで、その店の女店主は日本のサラリーマン以上に働いていたと思う。
店が閉まった夜7時以降もずっと忙しくしていた。たまに店番に着ていたご主人が帰る時に奥さんに「じゃぁまた明日」と言って帰って行ったときも有った。奥さんは「私が遅くまで働いているから今晩は会えないね、という意味で言ったのよ」と笑っていたけど、多分本当の事だろう。そういえば、休みも年に2週間しかない、と言っていた。皆最低5週間は休みを取るのが普通の国なのに、たった2週間。自営業は休んだらそれだけ収入も減ってしまう。オシャレーなだけじゃやっていけない。

この店は夫婦で経営していたのだけれど、ご主人より数倍奥さんの方が働いていたように見えた。
奥さんはお店の事以外にも、朝ご飯を作り、昼ご飯も作ってその他家の事をしてから店に出て、昼になったら急いで家に帰り家族で昼食を食べる。小学生と高校生の子どもが居て、子ども達も昼に帰って来るらしい。家族全員で食事が出来るのは昼だけだから、なのだそう。
こんななので、小学校が休みの水曜日は100キロ離れた両親が子どもの面倒を見るために駆けつけてくれるらしい。

エンジニア養成学校を出た女主人は学校を出てからずっと仕事をしてきたそうで、多分私のように子どもが大きくなっても働いていない人というのが理解出来なかったのかなんなのか
「ずっと家に居るのだから家の中はさぞかしキレイなんでしょうね」とか何度か”嫌み?”ともとられる事を言われた。

そうか、この人には想像出来ないんだな
たとえエンジニアの学校を出ていても、もしもアナタが日本に来たら仕事は出来ないかもよ?
アナタ仕事している、といっても肝心の子どもの事は親頼りじゃないの。私にはそれが出来ないのよ。

言ってやりたかったけど、面倒な事になりそうだったから止めた。

こんなことをたまに言われて、なんかなー、と思うときも有ったけれど、やっぱり彼女には感謝感謝、本当に感謝している。
だって、こんな田舎の超保守的な場所、きっと他の店だったら、言葉が大して話せないアジア人なんてたとえただ働きだとしてもstageをさせてくれなかったと思う。

先日お店に行ったら、最近東京の雑貨屋に商品を輸出し始めた、と話してくれた。
東京に住むのなら一度お店に行って様子を見て欲しい、と頼まれた。

前回日本に帰った時は全くのゼロから始めなければならなかった。
でも彼女のお陰で「やる事」がもう出来た。

前回日本に帰る時はセンチメンタルな気持ちになった。
さよなら、と言う毎に涙が出そうになった。
今回は不思議とない、今の所。
サッカークラブのBBQ。子どもが仲間からユニフォームを貰っている様子を見た時、仲間のお父さん、お母さんから「帰ってしまうなんて残念だ」と言われた時、前回だったらきっと泣いてしまっていただろう。でも今回はずっと笑顔だ。
なんとなく、「やりきった」「もう十分」という思いが有るからかな。何にもしてないんだけれど。
あとは娘がこの国に残るからかな。完全に切れる訳じゃないし。
やっぱり一番は夫が既に帰ってしまい、一人でここを引き払わないといけないから、感傷に浸っている場合じゃないからだろうな。

とにかく今は無事に引っ越せるように準備をしないとな。
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